映画【神様の思し召し】ネタバレと見どころ。
第28回東京国際映画祭にて観客賞を受賞したことでも話題を呼んだ【神様の思し召し】。
自らの態度によって孤独になりつつある天才外科医と、前科者の神父さまによる笑いあり涙あり感動ありの文句なしの映画です。
【神様の思し召し】のあらすじ
舞台はイタリア。
腕のいい心臓外科医・トンマーゾ(マルコ・ジャッリーニ)は傲慢で口の悪く、患者や看護師のことなどおかまいなしの態度のため、周りからは煙たがられていました。
ボランティアが好きな妻・カルラ(ローラ・モランテ)との関係も倦怠期、娘・ビアンカ(イラリア・スパダ)は、不動産を経営している冴えないジャンニ(エドアルド・ペッセ)と結婚しており、こちらもまた親子関係が薄くなりつつありました。
しかし、医学生で頭脳明晰な息子・アンドレア(エンリコ・オエティカー)が、自分と同じように医者の道へ進んでくれれば言うことはありません。
友人・フリオと遊んでばかりのアンドレアはもしかしてゲイなのでは?と、話していたある日。
あることをカミングアウトしたいという彼に、一家は慌てつつも彼のことを優しく受け止めてあげよう、ということで一致しますが、意外にも告白の内容は「医者にはならずに神父になりたい」というものでした。
家族は、表向きには応援する姿勢を見せますが、内心たまったものではありません。
トンマーゾは、アンドレアが何故そのようなことを言い出したのかを探り始めます。
ジャンニの協力の元、夜、フリオと出かける彼の後を追うと、派手なパフォーマンスでウケが良いというピエトロ神父(アレッサンドロ・ガスマン)の集会にたどり着いたのですが……。
【神様の思し召し】の見どころ・ネタバレ
イタリアンコメディ傑作のひとつ
2015年の、第28回東京国際映画祭にて絶賛されたのも頷ける映画【神様の思し召し】。
舞台がイタリア・登場人物もイタリア人ということで、よくしゃべる・手が動く!つらいことがあったとしても毎日をしっかりと生きていると思わずにはいられません。
テンポがよくおもしろいにも関わらず、人々の考え方や信仰の違い、家族を含めた人間関係、人生についてなど、多くのことを考えさせられる作品でもあります。
人間の内面を知ること
娘・ビアンカの夫・ジャンニは、トンマーゾと仲良くしたがっていたこと、妻・カルラがトンマーゾの自己本位な考え方に嫌気がさしていたこと、ビアンカもずっと自分の好きなことを肯定してほしかったこと、同僚のローザの演技力が意外に高かったことなど、この映画を観て感じたことは、「人間の内面を知るべきだ」ということでした。
元前科人であるからと「悪い人間にちがいない」と思い込み、本性を暴こうとするがために貧しい一家を演じるくらいのトンマーゾを、放っておかずにいたのは他でもないピエトロ神父でした。
トンマーゾは、本作視聴開始5分で「関わりたくない人」と思わずにはいられない人物でしたが、教会の修繕を通して、家族の意見を目の当たりにし、疑っていたピエトロ神父の悩みある人生を聞いて、彼は自分の生き方を省みようと考えを改めるに至りました。
よく知らないのに、第一印象で物事を決めつけることがよくあると思います。
ピエトロ神父が紹介してくれたピザ屋のスタッフ。
彼らがいなくてはピザを買うことができません。
ジャンニがいなければ、トンマーゾはアンドレアを追うことも一芝居することもできなかったでしょう。
家庭での役割はもちろんですが、アンドレアのことはカルラ経由での対応となっていたのはいつからだったでしょう。
自分は天才的な心臓外科医だと、自分よりも相手のことを見下した態度をとっていたトンマーゾは、やっとピエトロ神父を通じて「人は見かけではわからない」「思いやる気持ち」について考えることができたのだと思います。
ラストの真意は
本作の監督であるエドアルド・ファルコーネの秀逸な脚本とも言えるラストですが、あえてわたしたちに「どのように解釈するか」という部分を託して終わっています。
ピエトロ神父に教えてもらった、綺麗な湖が見える丘で熟した梨(=禁断の果実)の登場は劇中に2回あり、1回目はふたりが神の存在について語りなが眺めたシーン、2回目はラストシーン、重体のピエトロ神父を執刀医に託し、助けたいひとを助けられない想いを抱えながらトンマーゾだけで訪れるシーンです。
ラストシーンにてトンマーゾの携帯電話が鳴っていましたが、果たしてどのような連絡だったのでしょうか。
梨が落ちた瞬間を見て、静かに笑って歩き始めた彼には、きっとどちらなのかわかったのかもしれません。
【神様の思し召し】まとめ
人によって考え方が違うことを共感はできずとも「そう考えている」ことを理解しようとすることが、如何に大切であるかがわかる作品だと思います。
わかりやすいシーンとしては、息子・アンドレアが家族を集めて告白するシーン。
勘違いをしていたトンマーゾたちは、セクシャリティのカミングアウトだと思っていましたが、仮にそうだったとしても彼らは非難することなく受け入れる方向でした。
世の中に「常識」というものは確かに存在しますが、十人十色という言葉があるように、みんな違うからこその世界ではないでしょうか。(【世界に一つだけの花】のように)
自分を省みて行動を改めていたトンマーゾを見習って人に優しく暮らしていけたらと感じました。
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