日本人が描いた日本の映画と、外国人が描いた日本の映画というのは似ているようでどこか違います。
時には奇妙に描かれていることもありますが、中には日本人以上に日本のことをよく知っているのではないかなどと感心することもあります。
また、映画で描かれた題材から、日本のどんなところに外国では興味を持たれているのかがよく分かります。
そこで今回は、外国の監督だからこそ描けた日本の映画を5選紹介していきます。
ロスト・イン・トランスレーション
作品解説
【ロスト・イン・トランスレーション】(2004) は、監督がフランシス・フォード・コッポラの娘であるソフィア・コッポラで、東京を舞台としたビル・マーレイ演じるハリウッド俳優ボブ・ハリスと、カメラマンの人妻であるスカーレット・ヨハンソン演じるシャーロットの淡い恋の出会いと別れを描いた映画です。
映画のタイトルからも分かるように、この映画は英語と日本語という言語のずれを描いているだけでなく、人間関係の微妙なずれをも描いた映画です。
そのことからか、日本人から見た東京とはまた異なるTokyoの風景を見ることができます。
ハリウッド俳優であるボブは、サントリーのCMの撮影のために来日しましたが、慣れない場所に来たすれ違いから常に憂鬱そうな表情を浮かべています。
一方、カメラマンの夫に同行したシャーロットは、夫が仕事で忙しいことからほったらかしにされます。
高層ホテルの窓から東京を眺めるシャーロットはいつも寂しそうです。
すれ違いや倦怠期で憂鬱な中年俳優と見知らぬ街を孤独にさまよう女性は、おたがいの中に同じような孤独があるのに気が付いたのか、ホテルのバーで話をしているうちに次第に意気投合します。
お互い見知らぬTokyoという迷路をさまよい歩く姿を見ていると、言葉だけではない何かが2人を結びつけているようです。
【ロスト・イン・トランスレーション】 は、かってはお互いに言葉を交わさずとも分かりあっていた関係が、お互いに言葉を交わしてもすれ違ってしまうという関係が随所に現れてきます。
そんな中、お互いに惹かれあったハリウッド俳優のボブとスカーレットが、お互いに共感できる何かを感じ取れたからこそ、短い間の出会いだったとしても心に残るような何かを得られたのではないでしょうか。
映画のラストで2人は気まずそうに別れを告げました。
ボブはタクシーの中からスカーレットの姿を目にし、タクシーを止めて彼女に近づいて抱きしめ、耳元で何かを囁きます。
その言葉は何だったのかは分かりません。
しかし、もう一度別れを告げて立ち去る2人の爽やかな表情を見ていると、まさに日本でいう一期一会のような出会いだったといえるのではないでしょうか。
基本情報
公開・製作国:2004年、アメリカ
監督:ソフィア・コッポラ
原題:Lost in Translation
配給:フォーカス・フィーチャーズ
キャスト:ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン
配信:[U-NEXT](PR)
©2003, Focus Features all rights reserved
ブラック・レイン
作品解説
【ブラック・レイン】(1989) の監督は【エイリアン】(1979) のリドリー・スコットで、大阪を舞台としたヤクザを追う日米の刑事を描いたアクション映画です。
また、この作品で凶悪なヤクザを演じた松田優作の遺作にもなりました。
この【ブラック・レイン】ですが、マイケル・ダグラス演じるニューヨーク市警の刑事ニック・コンクリンと、高倉健演じる大阪府警の警部補である松本正博のやり取りから伺える日米の刑事の考え方の違いというのが浮き彫りになります。
個人の捜査を優先するニックに対して組織を優先させて捜査すべきという松本は、松田優作演じるヤクザの佐藤浩史の逮捕に向けて当初はことごとく対立していきます。
【ブラック・レイン】では、ニックがこうした日本の捜査に苛立ち、時としては松本を子供扱いするような態度を取りますが、松本と捜査を続けていくうちにニックはニックで松本の考えを尊重し、松本は松本でニックに理解を示していきます。
特に、うどんを食べながら、捜査で金を奪ったニックに対して盗みは盗みだと諭す場面では、それまでのニックと松本の立ち位置が逆転されたかのようでもあり、この場面がラストのシーンに繋がる伏線にもとれます。
また、【ブラック・レイン】では日米の刑事の考え方の違いが浮き彫りにされるだけでなく、仁義を重んじる若山富三郎演じる関西ヤクザのドンである菅井国雄と、自分の野望のためには人殺しもためらわない松田優作演じるヤクザ佐藤浩史の考え方の違いというのも描かれています。
佐藤を逮捕するために協力を要請するニックに対して菅井は、「お前たちがブラック・レインを降らしたおかげで、お金だけしか信じられない佐藤のような人間が生まれた」と語ります。
そのため、この作品で重要なモチーフとなるのが、佐藤がアメリカで手に入れたニセ札の原版です。
個を優先するアメリカの刑事に組織を優先する日本の刑事。
それだけでなく、仁義を重んじる日本のヤクザに信じられるものはお金だけという中味はアメリカ人のヤクザの対立、こうしたそれぞれで対立する複雑な糸が絡まってできた作品が今回の映画だということができます。
基本情報
公開・製作国:1989年、アメリカ
監督:リドリー・スコット
原題:Black Rain
配給:パラマウント映画
キャスト:マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作
TM & Copyright © 2021 Paramount Pictures. All rights reserved.
ライジング・サン
作品解説
【ライジング・サン】(1993) は、監督が【ライトスタッフ】(1984) のフィリップ・カウフマン、【ジュラシック・パーク】で有名なマイケル・クライトンの同名小説が原作です。
日本の大企業であるナカモトがロサンゼルスの一角に建てた超高層ビルでパーティーが開かれた夜に、ビル内でコールガールが首を絞められて殺されたことから、ショーン・コネリー演じるジョン・コナー警部とウェズリー・スナイプス演じるウェッブ・スミス警部補が事件の捜査に当たるというのが作品の大まかなあらすじです。
この映画が公開された前後というのは、三菱地所がニューヨークのロックフェラー・センターを買収したり、SONYがコロンビア映画を買収したりといったことから、急速な日本の経済成長や日米貿易摩擦に対する反発であるジャパンバッシングが激しかった頃でした。
こうした時代背景を頭に入れておくと、当時の日本人がアメリカ人からどのように思われていたのかが、映画の中で描かれているいくつかの誤解も含めてよく分かる映画でもあります。
この映画で面白いのは、殺人の舞台が日本企業のビルで行われたということから、日本文化に詳しく日本通である刑事としてコナー警部が捜査に参加したことでした。
日本のことについて知らないスミス警部補に対してコナー警部がうんちくを傾けながら説明をするのですが、お辞儀をする、名詞を渡すなどから、接待ゴルフなど、日本通のコナー警部が日本人相手にまるで日本人であるかのように振る舞うのを見るにつけ、なんともいえない奇妙な気分がします。
この奇妙な気分というのは、日本という郷の中にいれば感じることはないのでしょうけれど、日本から出てしまえば感じる奇妙さといったものなのでしょう。
コナー警部が日本の習慣に通じていればいるほど、その奇妙さというものがますます浮き彫りにされてきます。
そんなコナー警部の日本の説明ですが、面白かったのはコナー警部がスミス警部補に、先輩・後輩について説明する場面です。
コナー警部の説明に対して、スミス警部補は先輩というのは上司のことかと尋ねますが、映画のラストでは去り行くコナー警部に対してスミス警部補が先輩と呼ぶところは、事件を通じてスミス警部補は少しだけ日本に触れることができたようにも見て取れました。
【ライジング・サン】 は、日本人の描かれ方がひどいということで上映後は賛否両論のあった映画でしたが、アメリカ人を通じて見た日本人の奇妙さと、アメリカ人が当時の日本人のことについてどのような目で見ていたのかというのがよく描かれている作品でもあります。
基本情報
公開・製作国:1993年、アメリカ
監督:フィリップ・カウフマン
原題:Rising Sun
配給:20世紀フォックス
キャスト:ショーン・コネリー、ウェズリー・スナイプス、ハーヴェイ・カイテル
沈黙 -サイレンス
作品解説
【沈黙 -サイレンス-】(2017) は、監督が【タクシードライバー】(1976) のマーティン・スコセッシで、遠藤周作の小説【沈黙】を原作としています。
17世紀の江戸時代、日本でキリスト教の布教に励んでいたリーアム・ニーソン演じるクリストヴァン・フェレイラ神父が棄教をしたという噂を聞いたアンドリュー・ガーフィールド演じるセバスチャン・ロドリゴ神父とアダム・ドライヴァー演じるフランシス・ガルペ神父は、尊敬する師が棄教したことが信じられずに2人で日本に渡る決意をします。
2人は、マカオで日本人の漁師にしてキリシタンである窪塚洋介演じるキチジローの手引きにより日本のトモギ村に密入国をし、村や五島列島にいるキリシタン達に布教活動を行うのですが、キリシタンがいることを嗅ぎつけたイッセー尾形演じる長崎奉行・井上筑後守が次第にキリシタンへの弾圧を行うというのが前半の主なストーリーです。
【沈黙 -サイレンス-】では、激しい弾圧に対して信仰とどう向き合うのかということが描かれていきます。
笈田ヨシ演じる村長のイチゾウや塚本晋也演じる敬虔な信者のモキチ、あるいはガルベ神父は神に対する自らの信仰を貫くために殉死を選びます。
その一方で、自分のみが棄教を選び、家族は踏み絵を行えなかったことから処刑された過去を持つキチジローは、その後も捕まるたびに何度も棄教をしますが、苦しい思いからロドリゴ神父に告解を求めるものの、最後は銀300枚でロドリゴ神父を奉行所に売ってしまいます。
奉行所に捕まったロドリゴ神父は、キリスト教は邪悪で日本という沼地には根付かないと言う井上筑後守と浅野忠信演じる通辞に棄教を求められますが、自分の信仰を守るために頑なに断り続けます。
しかし、棄教して沢野忠庵と名乗るかっての師フェレイラ元神父との対面や、殉教者たちの苦しみの声に耐えきれないことから、最後には踏み絵をすることで棄教してしまいました。
ロドリゴ神父は、自分の信仰を守るべきか、それとも棄教をすることで殉教者を救うべきかという究極の選択のうちに棄教を選びましたが、棄教をしたものの自らの内なる信仰までをも捨ててはいなかったはずです。
踏み絵を踏むことで棄教し、その後死ぬまで沈黙を守り続けたロドリゴ神父は、その沈黙の中で静かに語る神の声を聞いたからこそ、それまでの教えとは異なる自らの内なる信仰を守り続けたともいえるでしょう。
基本情報
公開・製作国:2017年、アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
原題:Silence
配給:パラマウント映画
キャスト:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー
配信:[U-NEXT](PR) [hulu](PR) [Prime Video] (PR) [Netflix][dTV ]
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硫黄島からの手紙
作品解説
【硫黄島からの手紙】(2006) は監督がクリント・イーストウッド、同監督による【父親たちの星条旗】(2006) がアメリカ人の視点から硫黄島の戦いを描いたのに対して、この作品では日本人の視点から硫黄島の戦いを描いています。
戦争映画を描く難しさというのは、ともすれば戦場の兵士たちを美化したり、あるいは軍人を批判するなどといったイデオロギーに囚われやすいということです。
人間を描く前にこうしたイデオロギーが覆いかぶさった映画というのは、どうしても事実からは目が背かれた映画となってしまいます。
その点【硫黄島からの手紙】は、こうした戦争映画の持つイデオロギーからは遠い場所から描かれた映画ということがいえます。
この映画が戦争映画の危うさから回避できた点は、ともすれば軍隊という集団の中に埋もれてしまう個人のそれぞれの姿を鮮明に描いたことでしょう。
そして、こうした戦場での個人の姿というのが、二宮和也演じる陸軍一等兵の西郷昇の目を通じて描かれていきます。
西郷は硫黄島での戦いに参加している兵士ではあるのですが、戦争の馬鹿馬鹿しさを痛感し、生き残る意思を持って戦いを最後まで見届ける観察者でもあります。
西郷以外にもアメリカの実力を十分知り、合理的精神の持ち主であったにも関わらず戦わざるを得なかった渡辺謙演じる司令官の栗林忠道や、オリンピックの金メダリストでもあったことからアメリカのことを良く知る伊原剛志演じる陸軍中佐の西竹一の姿を見ていると、個人を巻き込んでしまう運命の残酷さと何のために戦っているのかという戦争の理不尽さがひしひしと伝わってきます。
また【硫黄島からの手紙】では、戦場から家族に送る手紙というのが映画を形作る1つの要素になっていますが、陸軍中佐の西竹一が捕虜となったアメリカの海兵隊員が持っていた母からの手紙を読み、書いている内容は我々と同じものだと言う場面があります。
捕虜となり横たわっていた海兵隊員は最後には亡くなってしまいますが、その姿は軍服を脱いでしまえばどこにでもいるような、まだ子供ともいえる若者です。
ともすれば集団や戦場という中で埋もれてしまいがちな個人の姿を丁寧に描くことで、【硫黄島からの手紙】は戦争の善悪以上に、戦争とは何のために行われるのかということを深く考えさせられる作品に仕上がっています。
基本情報
公開・製作国:2006年、アメリカ
監督:クリント・イーストウッド
原題:Letters from Iwo Jima
配給:ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ
キャスト:渡辺謙、二宮和也、伊原剛志
©Warner Bros. Entertainment Inc. ©DreamWorks Films L.L.C.