製作国:アメリカ合衆国
監督:
トッド・フィリップス
ジャンル:サイコスリラー
原題:Joker
キャスト:
ホアキン・フェニックス
、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツVOD:[U-NEXT] [Prime Video] [Netflix]
映画史上最悪の悪役といわれるのが、映画「ダークナイト」でヒース・レジャー演じるジョーカーです。
ただしこの映画では、ジョーカーは何者だったのかということは最後まで謎に包まれています。
そのため、バットマンがどのように生まれたのかと同じように、ジョーカーはどのように生まれたのかということが気になる人は少なくないでしょう。
ジョーカーとは何者だったのか、どのようにしてジョーカーが生まれたのかということを描いたのが、今回紹介する映画「ジョーカー」ですが、ホアキン・フェニックス演じるジョーカーの存在感に圧倒された人もいれば、本作品で描かれるジョーカー像にとまどった人も多いことでしょう。
そこで、今回はこの映画で描かれたジョーカーのどこにとまどいを感じるのかということを解説していきます。
今年の秋には続編の「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」が公開される予定なので、この映画をもう一度おさらいしてみてはどうでしょうか。
あらすじ
1980年代のゴッサム・シティで暮らすアーサー・フレックは、派遣ピエロの仕事から得られるわずかなお金で、年老いた母ペニーと暮らしていました。
アーサーは緊張すると笑いの発作の病気に襲われることから、定期的にカウンセリングを受けては精神安定剤を処方してもらい、一方の母親は精神と心臓を病み、30年も前に仕えていた大富豪トーマス・ウェインに助けを求める手紙を送っていました。
楽ではない暮らしでしたが、アーサーは一流のコメディアンになるという夢があり、時には彼が尊敬する芸人のマレー・フランクリンが司会を務めるトークショーで脚光を浴びる自分を夢想するのでした。
精神を病んでいるものの心優しい道化師のアーサーでしたが、看板を奪われた若者たちに暴行を受けた後、同僚のランドルから護身用に受け取った拳銃を小児病棟の慰問中にうっかり落としてしまったことで、上司からクビを宣告されてしまいます。
仕事を失い絶望したアーサーがピエロ姿のまま地下鉄に乗ると、車内にはトーマス・ウェインの会社で働く3人のビジネスマンが女性に絡んでいるのが見えました。
見ないふりをしようとするものの、突然笑いの発作が止まらなくなったアーサーに侮辱されたと思ったビジネスマンは、彼に近づき暴力をふるいましたが、暴行を受けている最中に反射的に取り出した拳銃でアーサーは3人を射殺してしまいます。
衝動的な行動に思わず駅から駆け出すアーサーでしたが、次第にこれまでにない高揚感が訪れ、彼の中で何かが変わろうとしたのでした・・・
ジョーカーにとまどいを感じるのはなぜ?
「ジョーカー」を観てとまどいを感じる人は、「ダークナイト」のジョーカーとホアキン・フェニックス演じるジョーカーがしっくりこないということがあるでしょう。
恐らくこうした観客は「バットマン ビギンズ」のジョーカー版というものを期待したのでしょうが、今回のこの映画はそうした観客の期待をいい意味でも悪い意味でも裏切った映画といえます。
バッドマンのシリーズと今回の「ジョーカー」で共通する点というのは、架空の都市ゴッサム・シティと、大富豪のウェイン家です(後にバッドマンとなる幼少期のブルース・ウェインもこの映画では登場します。)
また、かってウェイン家に仕えていた母親のペニーは、アーサーは大富豪トーマス・ウェインとの間に生まれた子供ということを手紙に書き記しますが、それがもし本当だとすると、ジョーカーとバッドマンは異母兄弟ということになりそうです。
そのことは後に母親の妄想だということで否定されるのですが、それにしてもジョーカーがバッドマンのこれほど身近にいたのかということ自体が驚きともいえます。
ただ、この時のアーサーが20代だったと考えると、「ダークナイト」でのジョーカーは40代から50代ということになってしまうので、バットマンが戦うジョーカーとこの映画で描かれるジョーカーは同一人物ではないと考えた方がしっくりくるでしょう。
さらに、「バットマン ビギンズ」ではオペラを鑑賞した帰りに強盗に襲われてブルース・ウェインの両親が殺されるのに対して、「ジョーカー」では暴動がおこるさなか、ピエロのお面の被った暴徒の1人に両親が殺されるという違いがあります。(また、「ジョーカー」では、地下鉄のエリートサラリーマンを含めて、トーマス・ウェインはあまり好意的には描かれていないようです。)
この映画が「タクシー・ドライバー」の影響を受けていると監督自ら述べているように、どのようにしてバッドマンの悪役ではないアンチヒーローが生まれたかという、もう一つのヒーロー不在のゴッサム・シティを描いた映画ともいえるでしょう。
ジョーカーは本当に実在するのか?
映画「ジョーカー」は、どれが事実でどれがアーサーの妄想(つまり頭の中の出来事)なのかが、一度観ただけでは分からないような映画です。
さらに、暴動が渦巻くなか、暴徒からかつぎあげられたジョーカーが、暴徒たちから歓喜の声で迎えられるというシーンから一転、ノーメイクのアーサーがカウンセリングを受けている場面にがらっと変わることで、この場面でとまどう人も多いことでしょう。
映画の中で明らかに妄想と分かる場面は、アーサーと同じアパートに住むシングルマザーの女性ソフィーとの関係です。映画の中では、アーサーとソフィーが親密になっている場面が描かれていますが、後にそれがアーサーの妄想だということが分かります。
ですが、アーサーとソフィーの親密な場面が映画ではリアルに描かれていることから、この映画では果たしてどこまでが実際に起こったことで、どこまでがアーサーの妄想なのか観客は煙に包まれたような気分になるでしょう。
また、この映画は最初から最後までアーサーの視点で描かれていることから、ある意味では、アーサーという人物は、ミステリーのトリックなどで使われる「信用できない語り手」ともいえます。
もしもこの映画自体がアーサーの妄想であり、その妄想を最後まで観たとしたのなら、私たちは実在するジョーカーではなく、アーサーの頭の中に潜んでいるジョーカーを実在するジョーカーだと思い込んでしまったところにとまどいを感じるのかもしれません。
そういう意味では、この映画そのものがジョーカーの大いなる妄想あるいは嘘ともいえ、まんまとだまされてしまった観客を、映画館のどこかでジョーカーがほくそ笑んでいるのではないでしょうか・・・