近代のイギリスの作家、それも怪奇小説を書いた作家に女性が多いのは、当時の男性中心の社会で女性が自立するためには、良家の家庭教師になるか作家になるかと言われていました。その先駆ともなったのがブロンテ姉妹ですが、今では古典として名高いエミリー・ブロンテの「嵐が丘」も当時は、男性の作家名で発表されたのはよく知られています。
今でこそ女性が自分の名前で作品を発表するのは当たり前のように思われますが、そこに至るまでには長い道のりがあったことも確かです。そこで今回は、女性の作家が原作の映画を5選紹介します。今回の映画を観ることで、彼女たちが世界をどのように見ていたのか、どのように生きようとしたのかが伝わってくるのではないでしょうか・・・
流れる
成瀬巳喜男監督の映画「流れる」の原作は、幸田露伴の娘である幸田文が置屋で実際に働いた体験をもとに書いた作品です。映画では、置屋で働く田中絹代演じるお春の目を通じて、時代の流れに逆らえずに没落する芸者置屋を描いています。
この映画の見どころは、なんといっても山田五十鈴や高峰秀子、田中絹代といった、当時を代表する女優の演技を堪能することができる点でしょう。今の映画のように劇的なストーリーがあるわけではないのですが、それでも最後まで飽きることなく映画を観ることができるのは、この映画に出演している女優の演技力と品格の高さにあるといえるでしょう。
こうした「流れる」のような映画は、ストーリーありきの今の日本映画ではなかなか見ることはできませんが、ジム・ジャームッシュやアキ・カウリスマキといった監督がこうした日本の映画の影響を受けているのは、それなりに嬉しいことですね。
嵐が丘
エミリー・ブロンテの作品「嵐が丘」は、これまで何度も映画やドラマで製作されましたが、吉田喜重監督の嵐が丘は、舞台を大胆に日本の鎌倉時代に置き換えて描いているのが斬新な点です。この映画では、原作「嵐が丘」でヒースクリフに該当する鬼丸を松田優作が、キャサリンに該当する絹を田中裕子が演じています。
大胆なアレンジによる「嵐が丘」ですが、時代設定が大きく異なるものの、原作の持つ激しい情念や愛憎はこの作品でも生かされているように思います。また、原作の荒野に対して、荒廃した砂漠のような土地が舞台というのも、違和感なく映画を観ることができます。
ただし、この映画では松田優作演じる鬼丸のキャラが強烈な印象を与えてしまうがゆえに、原作でのキャサリンをはじめとする他のキャラがややかすんでしまっているような印象もあります。とはいうものの、ここまで時代設定を変えつつ、日本の風土に合わせて原作をアレンジした監督の力量はさすがといえるでしょう。
プライドと偏見
プライドと偏見は、これまで何度も映像化されているジェイン・オースティンの原作「高慢と偏見」を映画化した作品です。原作の登場人物と映画化されたときの登場人物を比べた場合、特に原作を先に読んだ人が映画を観れば、映画の中の人物に違和感を感じることも時にはあるでしょうが、この作品では特に、エリザベスとダーシーのキャストはまさにはまり役といってもいいでしょう。
それだけでなく、この映画で特筆すべきは、映画の中の光の使い方です。この映画ではイギリスの牧歌的な風景にマッチするような光の使い方や、時には光の使い方によって人物の心情をうまく表しています。
ちなみに、原作のタイトル「プライドと偏見」ですが、当初この作品を観たときは、ダーシーのプライドにエリザベスの偏見というように見えたのですが、改めて映画を見直すと、プライドと偏見というのは、プライドがあるがゆえに偏見を持ち、偏見があるゆえにプライドを持ってしまうというのが分かるのではないでしょうか。
キャロル
キャロルの原作は、ミステリー作家として名高いパトリシア・ハイスミスが、クレア・モーガン名義で1952年に出版されました。1990年代になってようやくこの作品がパトリシア・ハイスミスの作品であることが公にされましたが、出版された当時は同性愛がタブーであったため、別名義で発表せざるを得なかったという時代背景があります。
今回の映画キャロルですが、この映画の見どころは、ケイト・ブランシェット演じる人妻のキャロルに対して、心を奪われるテレーズのまなざし、および2人の未来を予感させるエンディングの素晴らしさでしょう。
キャロルの子供の問題などからいったんは離れ離れになってしまった2人ですが、ラストでキャロルに少しづつ近づいていくテレーズに対して、近づいていくテレーズを見つめるキャロルのまなざしは、まるで2人以外の世界は時間が止まってしまったかのように、観る者に深い余韻を残してくれます。
お嬢さん
「オールド・ボーイ」でも名高い韓国の監督パク・チャヌクが、サラ・ウォーターズの小説「荊の城」を大胆にアレンジしたのが、今回紹介する映画「お嬢さん」です。
原作ではヴィクトリア朝のイギリスが舞台のため、ディケンズのような時代背景のゴシック小説ですが、今回の映画では舞台を日本統治時代の朝鮮および日本に変更しています。そのせいか、日本人がまず観て奇妙に感じるのは、韓国映画にもかかわらず日本語のセリフがやたらと多いことでしょう。
それに加えて、結婚詐欺をしようとする男性の名前が「藤原伯爵」ということや、秀子の後見人が開催するエロ文学の朗読でしょうか。とはいうものの、それを抜きにしても、第1部の詐欺に加担したスッキの視点から見た物語、第2部のお嬢様である和泉秀子の視点から見た物語、そして第3部のエンディングにいたるまでの原作をそこなわない面白さは、さすがといえるでしょう。
ちなみに、原作者のサラ・ウォーターズは当初「原案」を希望していたそうですが、映画の出来を観て「原作」と表記することを了承したそうです。
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