東京裁判-戦勝国が敗戦国を裁く矛盾とは…

(C)講談社2018
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東京裁判とは何だったのか・・・

裁判を通じて日本が戦争に至るまでの経緯と、戦後の日本のあり方が確定されたのが、映画で描かれている東京裁判だといわれています。

東京裁判でのポイントは2つあり、1つは戦争の責任は天皇陛下にあるかどうかということと、もう1つは個人を戦争の責任者として裁くことができるかどうかという点です。

天皇陛下を戦争の責任者として裁きたい裁判長のウェッブ卿に対して、アメリカが天皇陛下を擁護する立場をとったのは、連合軍最高司令官マッカーサー元帥が天皇陛下と対面して、その真摯な姿に感銘を受けたとも、あるいは天皇陛下を残しておいた方が日本を統治しやすいからとも言われています。

また、当初のアメリカの方針は、2度と侵略戦争を行うことがないように、日本を武力の持たない国にすることでした。そうしたアメリカの考え方は、映画「東京裁判」でも取り上げられた日本国憲法の第1条および第9条に反映されているといえるでしょう。

さらに、個人を戦争の責任者として裁けるのかという点は、先に述べたインドの判事パルが、今回の東京裁判は裁判の方向性が最初から決められた茶番劇だという点や、少数派の意見が公表されず、あたかも多数決派の意見が全判事の一致した意見であるかのように宣告されたことに対して批判しています。(ただし、パール判事は日本に戦争責任があるということは否定していません。)

東京裁判の映画のラストは、トルーマン大統領の再選就任祝賀パレードを背景に、戦後に起こった国際紛争の数々を字幕で表示していますが、戦争に勝った国が本当に正しいのかどうかという矛盾を描いたのが映画「東京裁判」ともいえます。

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戦争の責任者は誰だったのだろうか・・・

大日本帝国憲法の第4条では「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ・・・」と書かれていることからも分かるように国の主権は今のような国民ではなく天皇陛下でした。

天皇陛下に戦争責任があると考える人は、天皇が国家の主権であることから、天皇陛下にも戦争責任があるのではと考えます。恐らく裁判長のウェッブ卿も同じような考えから、天皇陛下を裁判に出廷させたいと考えていたのでしょう。

その一方で、天皇陛下に戦争責任はなかったと考える人は、天皇陛下の本来の意向とは別に、軍隊が暴走を起こしたのが今回の戦争の原因だと考えます。東京裁判で個人が裁かれたというのも、軍隊の暴走を許した指導者に戦争の責任があるという考えに基づいています。

とはいうものの、ナチスドイツの例を挙げるまでもなく、戦争とは個人が行なうものではなく、国家が行うものであることから、国民の熱狂的な支持がなければ行えないものです。

戦争とは歴史の大きな河の流れのようなものであり、そうした大きな流れに逆らうことは生半可なことではないだけでなく、大きな流れの中では小さな個人の声はかき消されてしまいます。

ですが、大きな河の流れに身を任せて流されるのではなく、時には立ち止まって冷静に見ることも必要ではないかということを、この東京裁判を観終わった後に痛切に感じるのは私だけではないようにも思うのです・・・

Photo:「東京裁判」(C)講談社
本ページの情報は2024年8月時点のものです。最新の情報は公式サイトにてご確認ください。