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『さらば、わが愛 覇王別姫』ネタバレ感想。レスリー・チャンの最高傑作と言われるワケは?ラストシーンの心情を考察!

さらばわが愛覇王別姫
©1993 Tomson Films Co.,Ltd. (Hong Kong)

映画『さらば、わが愛 覇王別姫』ネタバレ感想。本作は、京劇で女形を演じた主人公の悲しみに満ちた一生を描いた作品です。

主演のレスリー・チャンの美しさと、憑依したかのような演技に魅了される視聴者が続出。中国映画の最高傑作と名高い『さらば、わが愛』の感想とラストシーンの考察をお伝えします。

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『さらば、わが愛 覇王別姫』の見どころ

レスリー・チャンの魂が宿った作品

Movie Poster

主演のレスリー・チャンと言えば、1980年代から1990年代の香港映画に大きく貢献した人気スター。

アジア映画をあまり見ない人でも、『男たちの挽歌』『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』『ブエノスアイレス』『さらば、わが愛』どれか1つの作品名は聞いたことがあるのではないでしょうか。

上記の有名映画すべてに出演しているレスリー・チャンは、まさに香港映画界のスターでした。

そんなレスリー・チャンが本作で演じるのは、京劇で女形を演じる程蝶衣。役が憑依したかのような振る舞いや表情、そして、儚げな美しさに心を奪われる視聴者が続出しました。

ファンの間でも、彼の最高傑作として『さらば、わが愛』を挙げる人が少なくありません。

時代の変動が感じられる映画

本作は、時代の波に飲みこまれてしまった蝶衣(ティエィ)の一生が、愛憎と共に描かれた映画です。

近年はコンプライアンスの規制が厳しく、中国では放送中止になるドラマもあるほど。しかし本作は、1993年の映画ということもあり、当時の惨劇な実情がしっかりと描かれています。

映画の舞台は、1924年の北京。

折檻の様子など目を覆いたくなるシーンも多数ありますが、当時はこれが実情だったのだろうと思うと目を背けるわけにはいかないと思いました。

京劇に関しても、時代の変動によって浮き沈みする様が分かりやすく描かれています。

蝶衣の幼少期~青年期ごろの京劇は、中国人なら誰もが愛し、誰もが夢中で観劇する伝統的なものでした。

しかし、1945年に日本との戦争が終わったあとは、京劇が糾弾され始めます。支配者が変わったことで、思想も変わったのです。

時代に翻弄され、京劇の中でしか生きられなかった蝶衣の悲しい生き様に、きっと涙を誘われるはず。

サンザシのお菓子が心に残る

少年時代の主人公と小癩が、京劇養成所から脱走したときのこと。小癩が「お腹いっぱい食べたい」と言って、街で買ったお菓子が“サンザシ”です。

脱走した2人はその後、町で『覇王別姫』の演目を見て魅了されたため養成所に戻ることにします。すると、同門たちは脱走を見逃した罪で、師匠から激しい折檻を受けていました。

あまりに激しすぎる折檻を目にした小癩は、折檻を受けることが怖くて自殺してしまいます。彼が自殺する前にサンザシを口いっぱいに頬ばるシーンが、深く印象に残りました。

小癩が死ぬ前に叶えた夢はサンザシをお腹いっぱい食べることだった……。そのあまりにもささやかな夢が、余計に悲しみを誘います。

サンザシを食べるという、そんなささやかなことさえ普段の生活では叶わない。

養成所の子供たちは、言ってみれば孤児のようなもの。親の愛を知らず、養成所の中だけで生きてきた少年らにとって、夢とはほんのささいなことなのかもしれません。

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『さらば、わが愛 覇王別姫』のネタバレと感想

悲惨な幼少期、過酷な稽古

物語は、1人の女郎が子供(主人公)を抱えて歩いているところから始まります。女郎は、子供を京劇の養成所に預けようとするも、“多指症”という理由で断られてしまいました。

すると女郎は、あろうことか子供の指を切断。

開幕から衝撃すぎる展開で言葉を失います。しかも、子供の悲鳴まじりの泣き声があまりにリアルで胸をえぐられる思いでした。

その後、子供(主人公)は養成所に預けられ、“小豆子”と名づけられます。

養成所の一員になった小豆は、すぐさま他の子供たちからイジめられました。しかし、小石頭が何かあるたびに小豆を守ってくれて、2人は次第に兄弟のような仲になっていきます。

そして、京劇の稽古は過酷そのもの。少しでも手を抜いたり失敗をすれば、非情な折檻が待ち受けています。

観客の立場からすると、洗練された演者の身体能力にただ見惚れるばかりですが、裏ではそれだけ過酷な稽古をしているのだということを、映画を通して改めて思い知らされました。

そんな過酷な日常の中、まっすぐに育つ小石頭の存在がただただ眩しい!小豆が、同性でありながら小石頭を愛してしまうのも納得しきりです。

2人のエピソードはたくさんありますが、中でも印象に残っているのは、小豆と小石頭が添い寝をするシーンです。

小豆は、自分をかばって雪の中で罰を受けてくれた小石頭を抱きしめます。そのまま添い寝をする2人の表情は安らかで、もしかすると劇中で一番穏やかな瞬間だったかもしれません。

『覇王別姫』で有名スターに

青年へと成長した小豆は、“程 蝶衣(ティエィ)”という芸名を名乗ります。

小石頭の芸名は“段 小楼(シャオロウ)”

2人は京劇で『覇王別姫』という演目を行い、一気に有名スターへと登りつめました。

※演目『覇王別姫』とは。

劇で出てくる覇王は、無敵の英雄として語り継がれている楚王・項羽のこと。

ある時 項羽は漢軍と戦うことになるのですが、敵の妙計によって、敗北したと勘違いした項羽の兵たちは1人残らず去ってしまいます。

その時、項羽のもとに残ったのは虞姫と1頭の馬だけ。

虞姫は王・項羽に酒を注ぎ、剣を手に取って最後の舞を踊ります。そして虞姫は、そのまま我が喉を剣で貫きTHE・END。

段小楼が覇王を演じ、蝶衣は虞姫を演じました。つまり、蝶衣は女形を演じていたというわけです。

蝶衣の女形というのがまた、息を飲むほど美しくてそして可憐。

女形といっても蝶衣は、特別に華奢だったり小柄というわけではありません。指1本の動きや、表情のひとつひとつから可憐さが滲み出ているのです。

また、演目中に虞姫が覇王を見つめる目といったら……。

芝居とは思えないほどの愛情と慈しみがこめられていて、虞姫が覇王に向ける愛情はきっと、蝶衣本人が段小楼に抱く想いそのものだったのではないでしょうか。

そう思うと、京劇『覇王別姫』の深みが一層増してきます。

愛する段小楼が結婚……堕ちていく蝶衣

ある日蝶衣は、段小楼に想い人(菊仙)がいることを知り、段小楼に自分の気持ちをぶつけました。

一生そばにいたいと。

しかし段小楼は「舞台と私生活を混合するな」と言って、蝶衣の告白を聞き流します。それどころか、菊仙結婚することを決めてしまいました。

あるシーンで挨拶にきた菊仙に対して、嫉妬の眼差しを向ける蝶衣が印象的でした。菊仙からしてみれば、義弟になる蝶衣にそんな感情(嫉妬)をぶつけられるとは思っていなかったことでしょう。

段小楼の結婚を機に、蝶衣は段小楼との共演を拒否し始めました。

『覇王別姫』という演目は、段小楼と蝶衣のコンビだったからこそ、魅了される度合いもひとしおだったはず。

それなのに共演拒否となってしまい、すっかり2人の『覇王別姫』に魅了された一視聴者としてはとてもショックでした。

しかし蝶衣の立場になってみると、共演を拒否するのも仕方ありません。虞姫という役柄は、自分の感情と重なりすぎるがゆえに演じることができないのでしょう。覇王を演じるのが段小楼ならばなおさら。

段小楼が結婚してからというもの、蝶衣の私生活はみるみるうちに堕ちていきました。

もともと段小楼への想いは叶わないものだったのかもしれない。それでも、段小楼が誰のものでもなかったならば、せめて“虞姫”としてそばにいるという選択肢が蝶衣にはあったのかもしれない。

けれども段小楼は、菊仙のものになってしまいました。虞姫としてさえそばにいられなくなってしまった蝶衣が、堕ちていくのは仕方ないことのように思えます。

新思想により“京劇”が排除される!?

記事内の画像出典:公式サイト

その後 蝶衣は、京劇界の重鎮である袁四(男性)と大人の関係になったり、薬物に溺れていきました。

そんな蝶衣を、段小楼は時間をかけて支えます。

これまでに蝶衣と段小楼は何度も決別しかけましたが、この頃には兄弟の情を再び取り戻しており、京劇の舞台にも2人で復帰することに。

しかしそんな矢先、“中国共産党”の思想が2人の前に立ちはだかります。時は戦後。戦争が終わって思想も変わったのです。

以前までは大盛況だった“京劇”ですが、戦後は、忌むものとして軍人たちから排除されそうになってしまいます。

そんな状況は、京劇の中で生きてきた者たちにとってどれほど苦しいものだったでしょう。

蝶衣はかつて最愛の段小楼と一時は決別しましたが、それでも生きていられました。京劇が、愛する京劇があったから。逆を言えば、蝶衣には京劇しかありませんでした。

物心ついたときには母親に捨てられ、それ以降はずっと京劇の養成所の中で生きてきたのだから。

そんな蝶衣から京劇を取り上げてしまったら、いったい彼には何が残るのでしょうか。

*以下、重要なネタバレを含みますので未視聴の方はご注意ください。
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ラストシーンの考察

11年後。京劇を排除しようとしていた“4人衆”が権威を失いました。それを機に、蝶衣と段小楼は再び共演することに。

演目はもちろん『覇王別姫』です。

舞台には観客が1人もいなかったので、ラストシーンはおそらくリハーサルだと思われます。何せ、22年ぶりの共演ですから、ぶっつけ本番というわけにはいかないでしょうね。

あるいは、もしかしたらリハーサルではなく、2人だけの劇だったのかもしれません。

どちらにせよ、蝶衣がラストで自死したことは間違いないと思います。

演目中の虞姫もラストは刀で首を切って自害するので、きっと蝶衣は同じ最期を選んだのでしょう。

11年ぶりに覇王をみつめる目が、蝶衣のものなのか虞姫のものなのか、まったく分からないほど役と一体化していました。それはつまり、離れていた11年の間も段小楼を愛し続けていたということのように思えます。

段小楼を愛することから一生逃れられない。想いが叶うこともない。

だからせめて虞姫として、覇王に愛されたまま亡くなったのではないでしょうか。それに、京劇しか持たない蝶衣だから、京劇の中で人生を終わらせたようにも思えます。

演目の途中では悲しみを滲ませていた蝶衣ですが、剣を抜くときには微笑んでいました。最期の最期に浮かべた表情が微笑みだったことが、唯一の救いなのかもしれません。

最期の劇では、蝶衣がずっと哀愁の表情を浮かべているの対して、段小楼が楽しそうに演じているのも印象的でした。

そして蝶衣が自死した瞬間、段小楼は「蝶衣っ!!」と叫び声をあげ、そのあと静かに「小豆……」とつぶやきました。

段小楼にとっては、大人(蝶衣)になってからの蝶衣との思い出は、苦しみを伴うものが多かったかもしれません。けれど、2人が小豆子と小石頭だった頃は、稽古こそ過酷だったものの、2人の思い出は楽しくて穏やかなものだった。

だからこそ、段小楼の口から出た最後の名前は“小豆”だったのではないでしょうか。弟として心から慈しみ、心から穏やかだった頃の名前だから。

©1993 Tomson Films Co.,Ltd. (Hong Kong)