聖書モチーフと【THE PLATFORM】
【THE PLATFORM】を語る上でまず外せないのは、この物語に多く登場する聖書のモチーフです。まず、本作の中での穴の最下層は333階でした。3という数字は神と子と聖霊の三位一体を意味します。
数霊術では「333」は救世主を表すとされ、食べ物を配分しながら333階に降りて行ったゴレンはある意味で救世主とも捉えられるでしょう。
実際にゴレンが食べ物を配分するためね下層におりたとき「救世主のつもりか」と他の囚人に揶揄される場面もあります。また、各層に2人が収容されていると考えると穴に存在する全ての人数は666人。
666という数字は『新約聖書』の『ヨハネの黙示録』に記述され、獣の数字として扱われています。
「ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」(13章18節)
666人は外の世界に住む「悪魔」に翻弄されながら、自分が生きるために「食べたい」という欲と向き合い、戦わねばならない苦難に導かれているとも考えられるでしょう。
また、この穴の仕組みを知ることになる最初の食事で、ゴレンはプラットフォームが動き出す前にリンゴをひとつ懐に入れました。
結果として、トリマカシとゴレンの階層は罰として温度が急上昇。間一髪のところで、ゴレンはリンゴをプラットフォームに投げます。
この場面は一時的な穴のルールを視聴者に明示するだけのシーンでなく、禁断の果実を手にしたゴレンが長い苦行の日々を歩んでいくことを暗示しているようにも捉えられるでしょう。
“ワンシチュエーション的”SFスリラーとして
このようなひとつの場所や状況だけで物語が完結している「ワンシチュエーション」ものの代表作といえばヴィンチェンゾ・ナタリ監督【キューブ】(1997)を真っ先に思い浮かべる人も多いでしょう。
「謎多き空間の中に見知らぬ複数の人間が閉じ込められて出口を目指して進んでいく」というストーリーの構成は【キューブ】と似ているものの、【THE PLATFORM】は外の世界との戦いが意図的に描かれています。
ゴレンの外の世界での回想シーンや、外で刑務所に携わって仕事をしていた元管理者の人物の登場も印象深いです。
【キューブ】よりも意図的に建造物がなぜできたのか、誰がどういう意図で作ったものなのかは明らかであり、「伝言」を送るという行動は外の世界でも繰り広げられている階層社会への比喩、「伝言」=次世代に託すという選択肢のなさへの風刺とも考えられます。
結末で「伝言」に選ばれたのは本来穴の中にいるはずのない、子どもだったことからもこのメッセージは裏付けられるでしょう。
ゴレンは「ドン・キ・ホーテ」を持ち込んだ
穴の中には一つだけ持ち物を持ち込むことができます。元管理者のイモギリ(アントニア・サン・フアン)は「ラムセス2世」という名の犬を連れ込んでいました。
彼女は、穴の中で下の階層まで食べ物が回るように道徳を説きましたが、ラムセス2世がミハルに殺されたことをきっかけにその覇気を失ってしまいます。
ちなみに史実によると「ラムセス2世」とは古代エジプト第19王朝3代目のファラオで、敵国との史上初の平和条約を築いた人物。つまり、この犬を失ったことによって、彼女は平和への野望を失ってしまったのです。
各登場人物が多かれ少なかれ、自分の持ち込んだアイテムに何かしらの希望や思い入れを抱いていることは明らかでしょう。ゴレンが選んだのは小説「ドン・キ・ホーテ」でした。
主人公はスペインの田舎の郷士で、騎士道物語を読みすぎて気が狂い、自ら遍歴の騎士となり、不正を正すために百姓サンチョ・パンサを従え、さまざまな冒険に出会いますが、最後には正気に返り騎士道物語を否定して死にます。
騎士道物語はこの時代に大変人気があったジャンルで、勧善懲悪の精神が多くの人の興味を引きました。しかし、ドン・キ・ホーテは現実と空想の区別がつきません。目の前の風車を巨大な悪者だと勘違いして突撃するエピソードは聞いたことのある人も多いでしょう。
始めは己の道徳に従って食べ物を手にすることすら躊躇していたゴレンも、トリマカシに殺されかけて以来、穴での生き方を覚えました。
そして限界までの飢餓状態やトリマカシを食べてしまったことによるショックで気がおかしくなったゴレンが、「ドン・キ・ホーテ」を破って食べる場面があり、ここでも聖書のモチーフが関わってきます。
現代の新約聖書中の一書『ヨハネによる福音書』に記されている「最後の晩餐」では
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもいつもその内にいる」(第6章53節)
と、イエスが弟子たちに語ったとされています。
「ドン・キ・ホーテ」を文字通り食したゴレンには、「ドン・キ・ホーテ」の誤った騎士道、そしてなにより空想と現実が入り混じった世界が内在してしまったようにも見えます。
そう考えるとバハラットが殺された後の333階が、果たして彼の頭の中の出来事であったのか、現実世界の出来事であったのかは定かではありません。
ゴレンによる「ドン・キ・ホーテ」の終焉が333階での出来事だったとも考えられるでしょう。現実世界では本を直接的に食すことなどまずありません。
しかし、何度も読むうちに主人公の思想が自分の中に根付いてしまったり、著者の思想が自分の心の中に大きく巣食うような経験に覚えがある人もいるのではないでしょうか。
心が傷ついている時、弱っている時こそ、フィクションはわたしたちに絶大な影響を及ぼし、気付かぬうちに自分自身との思考の境界線すら曖昧になってしまうことはあり得なくもありません。
穴の中では誰しもが善であり、悪でもあります。そしてそれは穴の存在しない世界で生きる、私たちも同じです。私たちの善悪は来月には、いや明日には入れ替わってしまうような脆いものかもしれません。
暗澹とした先の見えない穴の中で暮らしているわけではなくとも、わたしたちは命を食べ、知恵や文化を得ることで誰かの思想を己の内に内在させて生き延びねばなりません。
全ては、次の世代に「メッセージ」を託すために。ゴレンの勇姿は私たちに、人が社会で生きていくということへの新たな視点を与えてくれるでしょう。
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