映画「エクソシスト」や「オーメン」によってオカルトブームが起こったといわれていますが、どちらの映画も主役は子供です。
「エクソシスト」は少女が悪魔に取り憑かれる姿がショッキングだったのに対して、「オーメン」は悪魔の子供に関わった大人が次々に不可解な死を遂げるのがショッキングでした。
インスタなどを見ていると、可愛い子供の姿が微笑ましいだけに、子供の邪悪な面を見せつけられると、それだけショックも大きいといえるでしょう。
そこで今回は、「エクソシスト」や「オーメン」の子供の末裔ともいえる映画「エスター」を紹介します。
可愛い少女の表の顔とは別に、残忍な裏の顔を持ったエスターの姿に衝撃を受けるとともに、ラストのどんでん返しで背筋がぞっとする恐怖をきっと味わうことでしょう。
あらすじ
3人目の子供を流産し、かつてアルコール依存症でもあったケイト・コールマンは、心の傷が癒されないことから、夫のジョンと相談して、孤児院にいた9歳の少女エスターを引き取ることにしました。
エスターは風変わりな女の子ではありましたが、落ち着いた雰囲気で夫妻の心をつかんだことから、コールマン夫婦にとっては理想の子供のように思えました。
そんなエスターは、手話を覚えることで聴覚障害を持つ義妹のマックスとは仲良くなりましたが、義兄ダニエルはエスターのことを快くは思っていませんでした。
表向きは理想の子供を演じていたエスターですが、風呂場には鍵をかけたり、歯医者に行くのを嫌がったりという不可解なことだけでなく、ダニエルが傷つけた鳩を石で叩き潰したり、学校で自分のことを笑った女の子を殺そうとしたりという、攻撃的で残酷な一面も次第に見せるようになります。
そうしたエスターの子供らしくない態度に気づいたことから、ケイトはエスターに対して次第に不信感を覚えるようになりますが、エスターの子供らしい一面を信頼しているジョンはケイトとそのことで口論になってしまいます。
そんなころ、孤児院からシスター・アビゲイルが夫妻のもとを訪れ、エスターが以前いた学校で事故の現場には必ずエスターがいたことや、彼女が住んでいた家と家族は放火によって失われたという話をしたのです。
シスター・アビゲイルの話を陰で聞いていたエスターは、ジョンの書斎からハンマーや銃を盗み出すと、マックスを連れて先回りし、孤児院に帰ろうとするシスター・アビゲイルの車の前にマックスを突き飛ばすのでした・・・
エスターとは何者だったのか?
映画「エクソシスト」や「オーメン」は子供の恐ろしい一面を見せられることがショッキングでしたが、「エクソシスト」は少女が悪魔に取り憑かれ、「オーメン」は悪魔の子という設定で、人間ではない邪悪な何かが子供の姿を借りた恐怖というものがありました。
ですが、映画「エスター」が観るものに衝撃を与えるのは、自分の存在を脅かす相手に対しては、何のためらいもなく殺してしまうという、エスター自身の残酷さというものを感じてしまうからでしょう。
映画が進んでいくにつれて、こうしたエスターの裏の顔ともいえる残酷な一面を観ることになるのですが、観客はエスターが子供であるという前提でこうした残虐な行為の数々を目にしていきます。
そしてこの映画のラストでは、エスターの衝撃的な正体が明らかになるのですが、あらすじでも書いた風呂に入る際には鍵を必ず鍵をかけることや、歯医者に行くのを拒むこと、そして夫のジョンに取り入れようとすることでケイトを次第に孤立させようとしたことは、この映画のラストの伏線ともいえるでしょう。
映画「エスター」は表の顔であった少女らしさや可愛らしさというものが、映画が進むにつれて裏の顔である冷酷さや残酷さをエスターが見せつけることで、子供だと思っていたエスターは見せかけの姿で、実はどろどろとした欲望を秘めたモンスターだったことに二重の衝撃があります。
1976年の映画で、子供が大人を次々と殺していくという「ザ・チャイルド」という映画がありましたが、その映画では子供が残酷な殺人者であるというショックキングな内容だけでなく、そんな子供に対してどうすればいいかという大人の葛藤というものが垣間見えた映画でした。
ですが今回のこの映画「エスター」は、それまで可愛いらしい少女だと思っていたエスターが、実はそうではなかったいうことが映画のラストで分かるこも衝撃なのですが、本来は迎え入れてはいけないエスターを家族として迎え入れてしまったことに対する恐怖というのも映画を観て感じるのではないでしょうか。
エスターの2つのエンディングとは?
映画「エスター」のエンディングは、ケイトがエスターから子供を守ることで自分自身を取り戻していくという内容でしたが、実はこの映画にはもう一つのエンディングがあり、それはDVDの特典映像で観ることができます。
もう一つのエンディングとは、警察がケイトの自宅に向かうなか、エスターは2階のケイトの鏡台で、鼻歌を歌いながら割れた鏡の前で化粧をしています。
警官が駆け付けたなか、化粧を終えたエスターは警官の前に姿を現し、血まみれの顔で自己紹介をして終わるといういうものです。
このもう一つのラストを観て、映画に詳しい人ならビリー・ワイルダー監督の映画「サンセット大通り」を思い浮かべるのではないでしょうか。
この映画のラストでは、ゴーストライターのジョーを殺したかつての大女優ノーマの前に事件を報道するカメラマンや記者が押しかけるのですが、正気を失ったノーマはカメラを映画の撮影と思い込んで、大勢の人の前で彼女が書き上げた脚本のサロメを演じます。
映画「サンセット大通り」のラストは、このようにブラックな内容のエンディングであるのですが、映画「エスター」でも特典映像で観ることのできるエンディングが採用されたのなら、かなり後味の悪い映画になったのは間違いないでしょう。
もう一つのラストでははっきりと描かれてはいないのですが、「サンセット大通り」のオマージュであることを考えると、コールマン一家はエスターによって皆殺しにされてしまったのではないかと思われてしまうからです。
どちらのエンディングが良かったかというのは、人によって意見が分かれているようですが、個人的にはもう一つのエンディングの方が、エスターの持つ狂気と残酷さを映画のラストまでよりインパクトのある姿で描けたようにも思えてしまうのです。