濱口竜介監督の映画【ドライブ・マイ・カー】(2021) が、第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞を獲得するなど話題になっています。
原作は村上春樹が2013年に発表した同名の短編小説です。
村上春樹原作の映画といえばトラン・アン・ユン監督の【ノルウェイの森】(2010) が有名ですが、意外にも村上春樹の小説を原作にした映画というのは多く、国内だけでなく海外の作品にも見られます。で
すが、村上春樹の小説を最初に映画化した作品というのは意外と知られていないのではないでしょうか。
そこで、今回はまだ村上春樹が現在のように知られる前に映画化された作品である、大森一樹監督の【風の歌を聴け】(1981) を紹介します。
1981年 / 日本
配給:ATG
原作:村上春樹「風の歌を聴け」
監督:大森一樹
©1981 オフィス・シロウズ/ATG
【風の歌を聴け】
村上春樹の小説を大森一樹監督が映画化したと聞くと意外にも思いますが、実は大森一樹監督は村上春樹と同じ芦屋の出身で芦屋市立精道中学校の後輩でもあったそうです。
また当時の監督の年齢が29歳と、原作の主人公の僕や当時の村上春樹の年齢が同じだったということもあり、監督の中に共感するものがあったのでしょう。
映画はいくつか原作との相違点はあるものの、おおまかな内容は原作を忠実に描いています。
東京の大学から夏休みに帰省した僕と、ふとしたきっかけでチームを組んだ鼠や、偶然にもバーで出合った小指のない女の子とのひと夏の出来事というのが大まかなストーリーです。
この映画の見どころの1つは、僕を演じている小林薫の演技です。
大学生を演じるには少し年がいっているようにも思いますが、小説の中の僕の寡黙な雰囲気はよく現れています。
また、村上春樹の初期の小説というのは僕の内面的な語りが魅力の1つですが、映画化するにあたってところどころモノクロの画面を背景に小林薫の朗読を挿入するというのは、配給が日本アート・シアター・ギルドということもあるのですが、かなり実験的なアプローチであたかも自分が映画の中で小説を読んでいるかのようです。
小指のない女の子は真行寺君枝が演じているのですが、こちらも村上春樹の小説に描かれる少し陰のある女性の雰囲気がよく出ています。
最後の方の場面で、小指のない女の子の辛い気持ちに黙って耳を傾けている小林薫の演技は、小説で描かれている僕の雰囲気をうまく捉えているようです。
その一方で、少し残念と思われるのは映画での鼠の描かれ方でしょうか。
「風の歌を聴け」を選評した丸谷才一が書いているように、鼠はある意味僕の分身といった存在です。
もう一人の僕といってもいいのですが、小林薫演じる僕の映画での存在感と比べると、ヒカシューの巻上公一演じる鼠は映画の中では存在感が希薄のようにも見えます。
この辺りは、映画と原作は切り離されるべきものなので映画と小説はまた別ものと考えるか、ゴダールの【男性・女性】(1968) を意識して作ったという大森一樹監督が、原作とはまた違った雰囲気を出そうとしたと解釈するべきなのかもしれません。
ただ、原作では暗示的に描かれていた鼠のミステリアスな部分を映画では明確に描いたために、原作の持っていた鼠の魅力が少し損なわれているようにも見えます。
映画では鼠がホットケーキにコーラーをかけて食べる場面といった、読者が印象的に残る場面を映画の中に挿入していますが、先にも書いた鼠のどこかミステリアスな部分が薄められているせいで、俗物的で薄っぺらい感じがしました。
これは鼠を演じた巻上公一の演技が悪いというのではなく、映画化するにあたり「自分の映画の一要素として原作を扱った」と語る大森一樹監督の小説の解釈が大きく影響しているようです。
【風の歌を聴け】の中で鼠が僕に会って欲しい女性がいると言うのですが、当日になって止めてしまう場面があります。
映画では新幹線の駅で別れた鼠の実際の彼女のことを指しているのですが、原作では鼠の彼女というのははっきりとは描かれていません。
作者の村上春樹ははっきりとは書いていないのですが、勘のいい読者なら鼠が僕に会って欲しいと言っていた女性というのは小指のない女の子のことではないかと思えてきます。
どちらでもとれるように小説では書かれているため、はっきりと断言はできないのですが、もし鼠が僕に会って欲しい女性が小指のない女の子なら、この「風の歌を聴け」という小説は、夏目漱石の小説でよく題材となる、男性2人に女性1人の三角関係の話となります。
村上春樹の小説を映画化するに当たって、大森一樹監督は気づいていたのかどうかなのですが、「自分の映画の一要素」とコメントしているところを見ると、ひょっとしたら気づいていたのかもしれません。
気づいていたにもかかわらず、自分が撮る映画ではその部分をあえて描かなかった節があるのではないかと解釈することもできます。
鼠の彼女と小指のない女の子は別の女性という解釈も可能ではありますが、そこで鼠のミステリアスな存在感が薄れ、映画では少し俗物的に描かれているきらいがあります。
また、小説では、これまた作者が思わせぶりに書いているためはっきりとは言えませんが、小指のない女の子が鼠の彼女というのを僕はうすす気が付いていたようなところがあります。
そう解釈してみると、小説での僕、鼠、小指のない女の子の三人の関係というのは、非常に微妙でゆるやかな三角関係といったものであり、僕と鼠、僕と小指のない女の子の関係のみを描いた映画というのは、ひとつの解釈ではあるにしろ、小説の肝ともいえる箇所だけに、小説のような微妙な関係が描かれなかったのは残念にも思えます。
なお【風の歌を聴け】では、ジェイズ・バーのジェイをジャズミュージシャンの坂田明が、僕が付き合った三番目の女の子を当時大学生だった室井滋が演じているのですが、室井滋はこの映画が劇場映画のデビュー作です。
また、映画では主題歌としてザ・ビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」が使用されています。