秋というのはどこか物思いにふけさせる季節です。夏や春は人の心が外へ外へと向かいますが、秋は人の心が内へと向かうため、おのずと物思いにふけります。そのため、秋がやって来ると人は芸術の秋というようになったのかもしれません。
芸術の秋といえば絵画をイメージする方も多いでことしょう。展覧会で実際に絵画を鑑賞するのもいいですが、それまで知らなかった芸術家の一面を映画で知ることによって、絵画を見る目もまた変わってくるのではないでしょうか。
そこで今回は、映画を通して知ることのできる芸術家の生涯を彩ったとっておきの名作を5選紹介します。
「モンパルナスの灯」
作品解説
【モンパルナスの灯】(1958) は、監督が【穴】(1960) で知られるジャック・ベッケル、画家のアメデオ・モディリアーニ役をジェラール・フィリップが演じています。
芸術家の生涯はさまざまです。ピカソのように生きているうちから脚光と賞賛を受ける芸術家もいれば、ゴッホのように生きてる間は絵も売れず無名だった芸術家もいます。
【モンパルナスの灯】(1958) でジェラール・フィリップが演じるモディリアーニはまさに後者のタイプで、生きている間は貧困と病気に苦しめられ、無名のままその生涯を終えました。
生きているうちに有名になるけれど死後は次第に忘れられていく芸術家と、生きている間は無名だけれど死後に評価され、その後も名前が残る芸術家のどちらがその人にとって良かったのだろうかというのは、当人に聞いてみないことには分かりません。
ですが、【モンパルナスの灯】(1958) のモディリアーニの姿を見ると、自分が描いた絵を認めて欲しいという気持ちはあったものの、自分の絵が売れることにあまり関心がなかったような印象を受けます。
そのことが一番よくわかるのは、映画のラスト近くでアメリカの富豪に絵を売り込む場面です。
モディリアーニは「ゴッホは飲んだくれだった」と言う富豪に対して、「それは苦悩を忘れるためです。絵は苦悩から生まれるのです」と答えます。
名声は欲しい、だけども名声を手に入れたとたんに苦悩もなくなり、自分は絵を描くことができないのではないか、というのは芸術家の誰もが抱えるジレンマではないでしょうか。
人は何かを得ると、必ず何かを失ってしまうといいますが、【モンパルナスの灯】(1958) のモディリアーニは、絵を描くために必要な苦悩の灯を最後まで灯すため、時には苦悩を忘れがたいために飲んだくれの日々を送っていたのかもしれません。
基本情報
公開・製作国:1958年、フランス
監督:ジャック・ベッケル
原題:Les amants de Montparnasse
キャスト:ジェラール・フィリップ、アヌーク・エーメ、リノ・ヴァンチュラ
Rotten Tomatos
批評家の評価|–%
オーディエンス評価|–%
「ある画家の数奇な運命」
作品解説
【ある画家の数奇な運命】(2020) は、監督が【善き人のためのソナタ】(2007) のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクで、現代美術界の芸術家ゲルハルト・リヒターの半生をモデルにした映画です。
映画というのは見てスカッとする面白い映画もあれば、見た後に考えさせらえるという映画もありますが、【ある画家の数奇な運命】(2020) は後者に該当する映画で、様々な思いが心の中に余韻として残る映画です。
芸術としてこの映画を見た場合、トム・シリング演じる画家のクルト・バーナートがあれこれと迷いながら自分の求めた絵に到達するのは、ナチスの時代に精神を病み、最後は安楽死させられた叔母エリザベトの「目をそむけないで」という言葉が、いつも彼の心の中にあったからでしょう。
政治と芸術というのは常に対立しています。
なぜなら政治は自由を嫌い、芸術は自由を求めるからです。
そのため、政治は自分の都合のいいように芸術を取り込み、取り込めないとなると芸術から自由を奪おうとします。
自分の心の中の声に耳を傾け、あくまで自分の芸術を貫くか、それとも自分の心の中の声を封印して、自分の芸術を曲げてしまうのか。
その迷いがあったときに、画家のクルト・バーナートの道しるべのようなものがエリザベトの言葉だったのではないでしょうか。
政治的に見ると、ナチスに批判的だったものの、意思に反して党員になってしまったために、そのことで教職を失い自殺してしまったクルト・バーナートの父と、ナチス親衛隊の医師でエリザベートを安楽死へと導いたにもかかわらず、戦犯として裁かれず戦後も医師でいたクルト・バーナートの義父を見ていると、正義とは無縁の政治の残酷さや理不尽さが心の中にくすぶります。
ラスト近くで、自分とエリザベトの姿に安楽死を指示したナチスの高官と、義父の姿を重ねた絵を義父が見たときの義父のうつろな瞳と、それをしっかりと見つめるクルト・バーナートの瞳というのは、目をそむけた者の瞳と目をそむけなかった者の瞳のようでもあり、目をそむけなかった者が得たものは目をそむけた者よりもはるかに豊かなものを手に入れることができたのではないでしょうか。
基本情報
公開・製作国:2020年、ドイツ
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク
原題:Werk ohne Autor
配給:キノフィルムズ
キャスト:トム・シリング、セバスチャン・コッホ、パウラ・ベーア
公式サイト:https://www.neverlookaway-movie.jp/
配信:[U-NEXT](PR) [TSUTAYA DISCAS] (PR) [Prime Video] (PR) [dTV ]
©2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG
Rotten Tomatos
批評家の評価|–%
オーディエンス評価|–%
「バスキア」
作品解説
【バスキア】(1997) は、監督が【夜になるまえに】(2001) のジュリアン・シュナーベル、画家のジャン=ミシェル・バスキア役をジェフリー・ライト、アンディ・ウォーホルをデヴィッド・ボウイが演じています。
この映画を見て面白いのは、バスキアは表現したいので絵を描くのに対して、彼の絵を見る人々はそこに何かの意味を求めようとすることでしょうか。
絵画を言葉で表現しようと思えば、描かれた絵に対して何らかの意味を求め、解釈しないことには人には伝わりません。
絵に対して、そこに込められた意味や何かしらの関係性を見つけられないものほど居心地の悪いものはないでしょうから。
ですが、描いているバスキアにとっては、ただその時に描きたいものを描いているのであって、描いた絵に何か意味があるということはバスキアにとってはあまり意味をなさないことのようです。
天才とは描きたいのだから描くのであって、そこに意味を求めてしまうのは、悲しいかな普通の人達というのを痛感させれますが、バスキアの場合こうした考え方が絵を描くことだけでなく、日常の生活にも一貫して現れます。
バスキアは、深い考えもなくその時その時で自分がしたいことを行動に移しますが、それが周りの人たちを振り回し傷つけ、怒りや悲しみをバスキアに向け、バスキアが有名になればなるほどそれまで親しかった人達が離れていきます。
最後は晩年のアンディー・ウォーホルと共同制作を行いますが、これは若くして栄光を手にした天才の避けられない運命、有名になればなるほど孤独になるということを、お互いがよく分かっていたからこその繋がりだったのではないでしょうか。
基本情報
公開・製作国:1997年、アメリカ
監督:ジュリアン・シュナーベル
原題:Basquiat
配給:エース ピクチャーズ
キャスト:ジェフリー・ライト、クレア・フォラーニ、デヴィッド・ボウイ
Rotten Tomatos
批評家の評価|〇%
オーディエンス評価|〇%
「フリーダ」
作品解説
【フリーダ】(2003) は監督がブロードウェイ・ミュージカルの「ライオン・キング」の演出で知られるジュリー・テイモア、メキシコの画家フリーダ・カーロをサルマ・ハエックが演じています。
事故で生死を彷徨うほどの重傷から回復したものの、後遺症に悩まされることになった画家と聞けば、どこか悲壮なイメージを持ってしまいがちですが、映画で描かれているフリーダを見ていると、そのような影は微塵も感じられず、むしろ自分がやりたいように生き抜いた情熱というものが見る者に伝わってきます。
フリーダという画家に共感を覚えるのは、絵を描く姿勢も含めて、困難に逃げることなく、常に向き合うことで生きてきたということでしょう。
たくましいと書いてしまうのは簡単なのですが、そうした彼女のたくましさを支えたものは何かというのは、【フリーダ】(2003)では彼女の内面にまで立ち入っていないせいか、そこは見る者が想像するしかありません。
余談ですが、フリーダの描く絵を見ると、そこには常に困難と向き合っている自分が描かれています。
彼女にとって絵を描くということは、困難に目をそむけることなく立ち向かい、自分を見つめることで前へと進んでいくために必要なことだったのでしょう。
また【フリーダ】(2003)では、フリーダとメキシコに亡命したとロッキーの出会いが描かれているのですが、「ああ、そうなんだ」といような事実を知るのも、映画を見る楽しみの一つです。
基本情報
公開・製作国:2003年、アメリカ
監督:ジュリー・テイモア
原題:Frida
配給:アスミック・エース
キャスト:サルマ・ハエック、アルフレッド・モリーナ、ジェフリー・ラッシュ
Rotten Tomatos
批評家の評価|75%
オーディエンス評価|85%
「モリのいる場所」
作品解説
【モリのいる場所】(2018) は、監督が【南極料理人】(2009) の沖田 修一、画家の熊谷守一を山崎努が演じています。
自宅に庭から殆ど外に出ることのなかった、晩年の熊谷守一のとある1日を描いた映画ですが、まずは映画のスローテンポな流れに驚かされます。
近年はテンポの速い映画が多いだけに最初はこのテンポに戸惑ってしまうのですが、熊谷守一と同じ視線で映画を見ているうちに、このスローなテンポが次第に心地よいものになってきます。
映画の中で、カメラマンとその助手が写真を撮影するためにやってくるという場面がありますが、虫嫌いな助手が次第に熊谷守一のペースに引き込まれていきます。
どうも、熊谷守一の周囲にいる人は、こんな風にしてこの画家に惹きつけられていくようです。
【モリのいる場所】(2018) は熊谷守一が絵を描く場面は殆どでてきません。
ラスト近くに、樹木希林演じる奥さんに、学校へ行く時間ですよと告げられ、しぶしぶながらアトリエに向かう場面があるくらいなのですが、そこでも熊谷守一の他の人は学校がなくていいな、という呟きにくすっとしたおかしみを浮かべてしまいます。
【モリのいる場所】(2018) は、ストーリーやテンポの速さが好きな人には物足りない映画のように感じるかもしれませんが、熊谷守一のゆったりとした時間を慈しむかのように庭を歩き、鳥や虫などを眺める姿や、場面場面で思わずくすりとさせられるおかしみを感じることができたら、たとえ描いた絵を実際に見ることはなくても、熊谷守一の画家としての魅力に触れることができたのではないでしょうか。
熊谷守一の自分を飾らず、生きたいように暮らしている姿が映画を通じて伝わってくる、【モリのいる場所】(2018) はそんな映画なのです。
基本情報
©2018「モリのいる場所」製作委員会
Rotten Tomatos
批評家の評価|–%
オーディエンス評価|–%