猫は不思議な生き物です。猫の魅力にとりつかれた人がいる一方で、猫を見るだけで気味が悪いという人もいます。
犬嫌いの人は、子供の頃に犬に吠えられたり、追いかけまわされたりして嫌いになる人が多いようですが、猫が嫌いな人というのは、じっとして何を考えているのか分からないような目で見られるのがどうも苦手のようです。
ただ、世間一般ではどうも猫が嫌いという人は少数派で、大方の人は猫の可愛さがたまらないというのは、猫を飼う人が増えてきていることや、猫を題材にした映画やドラマが作られてきていることからも分かるでしょう。
猫のどこが魅力なのか?これはなかなか難しい質問です。
悪く言う人は猫は気まぐれでわがままな気がするイメージがあるようですが、猫好きにとってはそれもまた魅力の一つでもあるのですから。
猫の魅力を知りたい人は、とりあえずは猫の映画を見てみることをおすすめします。
今回紹介する映画は、猫好きが見るとたまらないようなもの?をチョイスしてみました。
人間には関心がなさそうでいて、いいタイミングですり寄ってきては可愛い声で鳴く猫、そんなツンデレの猫の魅力に気づいたなら、もうあなたも立派な猫好きの一員です。
【グーグーだって猫である】
作品解説
猫は飼い主のことをどう思っているのでしょうか。
猫を飼っている人ならば、一度は疑問に思うことです。
真偽は定かではないのですが、どうも猫は人間のことをヒトとして見ているのではなく、自分よりも大きな猫と思っているようです。
そんな猫から見た人間の世界というのは、小説では夏目漱石の「吾輩は猫である」が有名ですが、漫画では大島弓子がこうした猫漫画の先駆者ともいうことができます。
猫ブームと言われるようになり、猫を題材とする漫画やドラマが増えましたが、こうした猫ブームが起こる以前から「綿の国星」などの作品を書いてきた大島弓子は、そのぶれない一貫したスタイルが他の猫漫画や猫ドラマとは一線を画しています。
ひょっとすると、猫が可愛い生き物だと思われるようになったのは、大島弓子がこれまで描いてきた擬人化された猫の姿も影響を与えていたのかもしれません。
人間からはうかがうことのできない世界ですが、猫がまるで人間のように語り、人間のように振る舞う姿というのは、大島弓子の漫画を読んでいると、本当にこんな風に猫は思っているのではないだろうかと思わせるくらいの、リアリティーあるファンタジーです。
そんな大島弓子が描く猫の世界ですが、「綿の国星」がチビのある種の冒険譚を描いたファンタジーであるのに対して「グーグーだって猫である」は、作者本人と実際に飼っている猫との日々を描いたエッセーのようなものです。
【グーグーだって猫である】(2008) は作者と猫の日常をつづった作品を映画化したもので、映画では小島麻子となっている漫画家を小泉今日子が演じています。
漫画では擬人化された猫から見た人間と、大島弓子から見た猫の噛み合うようで噛み合わない呟きにも似た語りが面白さの一つなのですが、映画では猫が漫画のように語ることなく、作者の小泉麻子も言葉少なで、狂言まわしを上野樹里演じるアシスタントのナオミが演じることで、いわば猫のつぶやきがナオミから見た先生の語りのように変わっています。
このことが原作と映画の大きな違いであり、猫の映画というよりは、作者小泉麻子=大島弓子の自伝的要素の強い作品となっています。
漫画での心象風景的な猫と大島弓子の語りは、映画では影を潜め、映画では映像を通じてそうした語りを描こうとしています。
そのため、この映画を見て、原作とは異なる映画だと考えてしまうのか、漫画と映画は異なるのでこれはこれでいいのだと考えるかは、映画を見た個々の人の判断にゆだねられるでしょう。
猫は人の3倍早く生きるので、人間よりも先に死んでしまいます。
ですが、猫を飼う人にとって大切なのは、猫の最後にどれだけ寄り添ってあげることができるかということです。
映画の冒頭で、漫画の締め切りに追われ、ようやく漫画を描き上げたと麻子が振り返ると、ソファーでサバが亡くなっていたという場面があります。
そしてそのことが、自分は猫の最後に寄り添うことのできなかったということで心の呵責として残り、漫画が描けなくなります。
それとは対照的に、ラストで、描けなくなった漫画が描けるようになったのは、夢か現実か分からない、大島弓子が好むうつつの世界で、擬人化されたサバに出合い、サバから楽しかった日々を聞くことで、ようやく猫の最後に寄り添えたからともいえます。
猫はツンデレで、飼い主が近寄ろうとすると邪険にし、飼い主が何かしようとすると、かまってちゃんで邪魔をする、という何とも厄介な生き物ではありますが、ときおり飼い主が悲しいときなど、まるで飼い主をなぐさめるかのようにそっとそばにやってきます。
人間は大きな猫かもしれませんが、猫のようにはなかなか生きられません。なので、猫からすれば、なんとも頼りない大きな猫だなあと思い、猫としての母性本能をくすぐられるのかもしれませんね。
基本情報
公開・製作国:2008年、日本
監督:犬童一心
原作:大島弓子「グーグーだって猫である」
配給:アスミック・エース
キャスト:小泉今日子、上野樹里、加瀬亮
© 2008 「グーグーだって猫である」 フィルム・コミッティ
【メン・イン・キャット】
作品解説
朝、学校や仕事に行くためにバタバタしていると、寝床で体を丸めている猫を見て、猫はいいなあ、猫になりたいなあ、と思ったことのない飼い主はいないでしょう。
果たして、本当に自分が猫になることができたら、あんな風にくつろいで、飼い主に甘えることができるのだろうか。
そんな疑問が湧いてきた方は、【メン・イン・キャット】(2016)を見てみることをおすすめします。
この映画は、ケヴィン・スペイシー演じる大企業の社長であるトムが、猫と一緒にビルから転落した際に猫とトムの意識が入れ替わって猫になってしまうというストーリーです。
トムは大の猫嫌いということもあり、猫でも意識は人間ということもあって、可愛いというよりは【テッド】(2013) に出てくるクマのぬいぐるみのようなふてぶてしさや図々しさを感じてしまい、そのギャップに思わずくすりと笑ってしまいます。
猫なのにお酒を飲んだり、キャットフードなんて食べたくないとコーンフレークを食べている姿は可愛らしい猫のイメージからはかけ離れたものがありますが、そんな中でちょっといいシーンだったのは、誕生日のプレゼントに猫が欲しいと言っていた娘と猫が踊る場面です。
仕事に忙しいあまり、普段から娘と満足に接することのなかったトムでしたが、猫が立ったままで娘とダンスに興じているところは少しほろりとさせられる場面でした。
また、娘だけが猫はトムだということに気づいてくれたというのも、お父さんが好きだからこそ分かったというのがなかなかいいです。
さてさて、人間としてのトムは意識不明の重態なのですが、それをいいことに会社を乗っ取ろうという企みもでてきて、果たしてトムは人間に戻ることができるのだろうか、というのは映画を見てのお楽しみとしておきます。
ですが、【メン・イン・キャット】を見ると、猫もはたで見ているほど気楽ではないということがよく分かります。
ちなみに【メン・イン・キャット】 の原題 “Nine Lives” は、英語のことわざである “A cat has nine lives.” (強運の持ち主)からとられています。
猫のダイハード版といえば、なんとなく映画での猫の活躍が分かるのではないでしょうか。
基本情報
公開・製作国:2016年、フランス、中国
監督:バリー・ソネンフェルド
原題:Nine Lives
配給:アスミック・エース
キャスト:ケヴィン・スペイシー、ジェニファー・ガーナー、クリストファー・ウォー
©2016 – EUROPACORP – All rights reserved
【猫、かえる Cat’s Home】
作品解説
猫が家にやってきたとき、いつまでも最愛の猫と一緒に暮らしたいとは思うのですが、様々な事情からやむなく猫を手放さないといけなくなることもあります。
そうした場合、飼い主にとって安心できるのは、自分と同じような猫好きに猫を引き取ってもらうことです。
また、猫好きかつ自分の身近な人が引き取ってくれるのであれば、ひょっとしたら再び猫に会うことができるかもしれません。
猫は3日で飼い主を忘れてしまうといはいいますが、飼い主からしてみれば、それでも身近な場所で猫と会えたらそれでもいいと思えるでしょう。
でも、かって恋人同士が付き合っていた時に飼っていた猫を別れる際に引き取るとなると、これはまた違った意味合いを持ちます。
彼女が猫を引き取る場合、彼女はもちろんのこと、猫に会うこともできないのですから。
【猫、かえる Cat’s Home】(2019) はかって付き合っていた男性から猫を引き取るまでを描いたショートムービーで、猫を引き取る彼女のリナをモトーラ世理奈が演じています。
ショートムービーなので、ストーリー自体は単純明快です。
彼女がかって付き合っていた彼の元を訪れ猫を引き取るというだけの話ですが、なぜ、この2人が別れるのかというのは映画でははっきりとは描かれていません。
ですが、別れ話を彼女の方から切り出したことや、ベランダから猫を放してしまうというシーン、届いた宅配便の名前が女性だったこと場面などを見ていると、彼女の方が彼のだらしなさに愛想をつかしたというのが、映画から想像することができます。
彼が部屋に立派なカメラを持っているのに対して、彼の元にやってくる彼女は、❞写ルンです❞で何気ない風景を撮っては彼のもとを訪れます。
そして、最後にケージに入れられた猫を引き取り帰ろうとする際に❞写ルンです❞から風景を見ると、そこにはかって猫と一緒に楽しそうに暮らしていた2人の姿が見えるというのも、まるで彼女の揺れ動いている心の風景のようです。
ただし、この映画を見ていると、猫のイヴが懐いているのは彼の方で彼女にはあまり懐いているようには見えません。
ベランダから逃げたイヴが戻ってきたのは彼氏の方にですし、彼女が持っているのはケージに入った猫です。
そう考えてみると、猫から見て別れようとする彼と彼女はどのように見えたのでしょうか。
そんなことにはお構いなく、猫はあくまでも猫なのかもしれませんが少し気になるところではあります。
基本情報
©SHINOBU IMAO
【先生と迷い猫】
作品解説
基本的には野良猫ですが、猫好きの家にふらりとやってきては餌をもらったり、その家の人に可愛がってもらうという地域猫とでもいうような猫がいます。
地域猫は行く先々で呼ばれる名前が異なっているので、中には2つも3つも異なる名前を持っているような猫もいたりします。
そんな地域猫と孤独な1人の老人の姿を描いた映画が【先生と迷い猫】(2015) です。
この映画で退職した校長先生で頑固な老人の役をイッセー尾形が演じています。
普段から公園や通りで見かける野良猫の姿が気になるような人におすすめの映画です。
妻に先立たれた後も、妻がミイと名付けた三毛猫が退職後も校長先生と呼ばれる森衣恭一の元にやってくるのですが、そのたびに妻が生きていたことを思い出し苦々しい気分に駆られる森衣は、ある日猫が入ってくる扉を閉ざし、やってこようとするミイに対して、もうやってくるなと怒鳴り返します。
その日を境にしてミイは森衣の家に訪れないだけでなく、その地域から姿を消してしまうのですが、その後ミイは色々な家を訪れては餌をもらうだけでなく、「タマ子」や「ソラ」などと呼ばれて可愛がられていたことが分かります。
ある人はミイに癒され、またある人は自殺しようとしたところにミイがやってきて救われたなどという話を聞いた森衣はミイを見つけようと奮闘するのですが、果たしてミイは見つかったのでしょうか……? というのは映画を見る人のお楽しみとしておきます。
ただ、ミイをそれまで地域猫として可愛がっていた人たちと協力して探すことで、森衣の心に少しづつ変化が訪れてきます。
それはまるで、いなくなったミイの置き土産のようでもあります。
猫というのは不思議な生き物です。
人間のようにしゃべることもできないので、本当のところ猫が人間のことを思って近づいてきたり、甘えるようなしぐさを見せるのかは猫に聞いてみないと分からないことでしょう。
ですが、映画の中で猫がいたから、なんとか今の自分がやっていけるという人や、認知症になって徘徊するようなお婆さんが、猫と触れ合うことで笑顔を取り戻すのを見ると、猫というのは人間にはできない不思議な力があるのかもしれないと思わされることがあります。
映画のラストで、ミイを探すことで、最初にミイが家にやってきて妻が可愛がっていたことを森衣が思い出すのですが、それもまた猫の持つ不思議な力が働いたのかもしれません。
基本情報
©2015「先生と迷い猫」製作委員会
【犬と猫と人間と】
作品解説
猫を飼う人が増えたということもあってか、ネットの動画やインスタグラムなどを見ていると、猫の可愛い仕草を撮影した写真や動画に出合います。
猫は仕草が無条件で可愛いことから視聴する人も多く、またそのことがネットで話題になり、ヤフーなどで記事にされたりします。
たしかに可愛い猫の仕草を見ていると、それだけで癒される人はたくさんいますが、その一方で多くの犬や猫が捨てられて、その殆どが保健所で殺処分にされているという現実を知ることも大切なのではないでしょうか。
そうしたペットの過酷な現実と、そこから少しでも救ってやろうとする人々の姿を描いたドキュメンタリーが【犬と猫と人間と】です。
【犬と猫と人間と】を見ていると、去勢された野良猫の子宮の中に今にも生まれようとする猫がいたり、仔猫が人間の手で両目をふさがれている間に麻酔をうたれて殺される場面や、まさに殺処分される寸前の犬の悲しい表情など、こうした現実を目の当たりにすると、犬や猫に癒される人はもちろん、あまり動物に興味がないという人が見ても少なからずショックを受けます。
こうした殺処分される前の犬や猫のまなざしをどこかで見たような気がして、しばらくはもやもやとしていたのですが、この原稿を書く時点でそのまなざしをどこで見たのかを思い出しました。
それは以前本の中の写真で見た、アウシュビッツなどの収容所にいた人々のまなざしと同じものでした。
犬や猫をペットとして飼ったものの、転居や離婚、失業するなどといった様々な理由から手放さざるを得なかった人もいれば、生まれた仔猫を段ボール箱に入れて愛護協会の前に捨てる人など理由は様々ですが、捨てられた犬や猫がその後どうなっていくのかということを、もっと考える必要があるのではということを【犬と猫と人間と】を見ると痛感させられます。
多くの犬や猫が捨てられることから、日本はペット大国ではあってもペット天国ではないことや、捨てられた犬や猫を少しでも助けようとする人たちの中で、オーストリア人の写真家が「大人は転居などの理由で簡単に犬や猫を捨ててしまう。
そしてそれを見た子供は親を捨ててしまう」と言った発言は、ペットだけではない何か日本が抱えている問題を鋭く指摘しているようでもありました。
【犬と猫と人間と】 のラスト近くで、監督はイギリスへと渡りペットの置かれている状況が日本とどれだけ異なるのかというのを実際に目にします。
イギリスでは日本と違い野良猫がいないことや、保護された犬や猫は広々とした施設で暮らしていること、イギリスではアニマルライツ(動物の権利)というの考えが浸透していることなどを見ると、動画やインスタグラムなどで見ることのできる犬や猫の可愛らしさに素直に喜ぶことのできない自分がどこかにいることに気づかされます。
可愛いらしいだけではすまされない過酷な現実がペット達にはあるのだということを知るだけでも、【犬と猫と人間と】を見る価値は十分にあるといえます。
基本情報
©2009.group Low Position