Netflixドキュメンタリー「アイリーン:シリアルキラーの数奇な人生(原題:Queen of the Serial Killers)」は、アメリカ史上最も悪名高い女性殺人犯のひとりに光を当てる。
社会に見捨てられ、愛に飢え、やがて連続殺人犯となった女――アイリーン・ウォーノス。「怪物」と呼ばれた彼女は本当に悪だったのか。それとも、愛されることを知らずに壊れていった一人の女性だったのか――。本記事では、彼女の数奇な人生をたどりながら、その裏に潜む社会の闇を読み解いていく。
作品情報
孤独と暴力の中で育った少女時代
アイリーン・ウォーノスは1956年、ミシガン州ロチェスターで生まれた。父は性的暴行の罪で服役中に自殺、母はアイリーンがまだ赤ん坊の頃に姿を消した。
わずか数歳で祖父母に引き取られるが、その家庭も決して安全な場所ではなかった。祖父からの暴力、性的虐待、そして孤立。家族の中に「愛」という言葉は存在せず、彼女が知ったのは“拒絶”と“恐怖”だけだった。
10代になると、アイリーンは学校や地域社会からも見放される。わずか14歳で妊娠し、施設で子どもを出産するも、赤ん坊はすぐに養子に出された。
帰る場所もなく、16歳で家を追い出された彼女は車を寝床にし、わずかな金のために路上で体を売りながら生き延びた。この時期、アイリーンの中で「人を信じる」という感覚が完全に失われていったと言われている。
生き延びるための“娼婦”という選択
ホームレスとなったアイリーンにとって、売春は生きるための手段だった。日銭を稼ぐため、ハイウェイ沿いでトラック運転手や通行人を相手に体を売る日々。
彼女はその世界で、暴力や搾取が日常的であることを嫌というほど知る。男たちは金を払えば何をしてもいいと思い込み、彼女の尊厳を奪い続けた。
それでもアイリーンは笑顔を見せた。それは愛想ではなく、生きるための仮面だった。
「誰も守ってくれないなら、自分で守るしかない」――そんな覚悟が、彼女をどんどん鋭く、そして冷たく変えていく。やがて、彼女の中で“恐怖”と“怒り”の境界が曖昧になり、心の奥に「いつか反撃する日」が芽生えていった。
連続殺人犯への転落と“自己防衛”の主張

1989年から1990年にかけて、フロリダ州で男性ばかりを狙った連続殺人事件が発生した。被害者は全員、銃で撃たれ、所持品や車が奪われていた。
やがて警察は、被害者たちの車を運転するアイリーン・ウォーノスとその恋人ティリア・ムーアを特定する。この瞬間、彼女は「アメリカ初の女性シリアルキラー」として世間の注目を浴びることになった。
だが、アイリーンは一貫して「自己防衛だった」と主張した。彼女によれば、殺害した男たちは自分をレイプしようとした、あるいは暴力を振るったという。
しかし、その主張はほとんど取り合われず、マスコミは彼女を“狂気の娼婦”として描いた。法廷での姿は、怒りと絶望と孤独が混ざったような目をしていた。
人々が見たのは怪物だったが、アイリーン自身は「生きるために戦っただけ」だったのかもしれない。
死刑判決と世間の視線

1991年、アイリーン・ウォーノスは逮捕され、7件の殺人容疑で起訴された。警察の取り調べに対して、最初は沈黙を守っていたが、やがてティリア・ムーアに裏切られる形で自白に追い込まれる。その瞬間、世間は一斉に彼女を“冷血な殺人鬼”として断罪した。
法廷でのアイリーンは、激しく感情をぶつける姿を見せる一方で、涙を見せることもあった。メディアはその一挙手一投足を“異常”と報じ、テレビや新聞は彼女を「人間ではない存在」として描き続けた。
しかし、その裏では彼女の心の病や過去のトラウマに光を当てようとする声もあった。アイリーンが経験した幼少期の虐待、極度の貧困、そして社会的孤立――それらを無視して“悪”だけで語ることはできない、という意見だ。
2002年、彼女はフロリダ州刑務所で死刑を執行された。死の直前、アイリーンは「私はまだ地球に戻ってくる」と語り、静かに最期を迎えた。その言葉には、彼女の狂気と悲しみ、そして何より“理解されないまま終わった人生”への未練が滲んでいた。
アイリーン・ウォーノスが残した問い
アイリーン・ウォーノスは、アメリカ史に名を残す初の女性シリアルキラーとして知られている。だが、その裏にあるのは、愛を知らず、暴力にさらされ続けた一人の女性の物語だ。
「アイリーン:シリアルキラーの数奇な人生」は、単なる犯罪記録ではなく、「彼女は本当に“悪”だったのか?」という問いを突きつける。
人を殺した罪は決して消えない。それでも、彼女を怪物にしたのは社会そのものだったのではないか――そんな感情が、静かに胸に残る。
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